般若心経会│般若心経・悟り・運気アップ
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1.前向き力とは

己こそ己の寄るべ 己を置きて誰に寄るべぞ よく整えし己こそ まこと得難き寄るべなり
自ら悪をなさば自ら穢れ 自ら悪をなさざれば自らが清し 清きも清からざるも自らのことなり 他のものによりて清むることを得ず

いくら念仏や題目を唱えようとも、自分自身が変わらなければ、その時だけ救われても後から後悔することになる。自分自身が良く変わる努力をし、良い人間になりたいと祈るなら、もう次元がすでに良い方向に変わっているのです。
信仰をして、これだけ神様、仏様に念仏をあげているという。しかしそれが徳を積んでいることになろうか。神棚や仏壇を離れて、すぐまた人の悪口を言っていないだろうか。
人を傷つけたり、人道に背くことは必ず罰を受ける。逆に世のため人の為と尽くす者には幸せが、福音が降り注ぐ。どちらが良いかは考えなくてもすぐわかる。
宗教にそれぞれ教えがあるが、良いことをしなさい、悪いことはするなとどこでも教えていないだろうか。それを念仏に没頭し、教えの方がおろそかになっていないだろうか。

大切なことは、愛と真心である。道徳・倫理に照らし合わせて善悪の判断をすることである。世界の平和のための念仏や祈りは必ず届き、不思議に自らも幸福への道へと導かれる。
「半ばは自分の幸せを、半ばは人の幸せを」という教えもある。人の幸せを願うのは半分でも良いのだ。家族の幸せを望むのは誰しもだろう。それで良い。

2.禊ぎとは

禊ぎとは、身を削ぐ試練です。不幸があれば、禊ぎだと思いありがたく受ければ良い。
罪に対する罰だとしてありがたく受け入れれば良い。悪いことをしていなくとも、自分に悪い部分があることを自覚して、自分磨きに努力をすれば良い。
不幸が多い人は、その分後で幸福が訪れる。人は誰しも試練を受けるのです。

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3.般若心経・悟りとは

般若心経の主人公は観世音菩薩です。その観世音菩薩に悟りを開かせた名も無き存在は、この世の全てで、無限のとてつもない存在だと気づくでしょう。私は神様と言っていますが、実際には神様、仏様の向こう側の存在。全ての根源なのです。

私はお釈迦様の悟り、般若心経や、この世の始まりの真実を知ることが出来ました。
天地創造について、聖書は「はじめに言葉ありき」と書かれています。お釈迦様は般若心経の中で「この世は空である」とし、無であり、始まりも終わりもないと説きました。
この理論を確認するにあたりまず、時間がなぜ過去から未来へ向かって流れているのかという現象を考えてみましょう。

答えます。競泳の選手の水着を、サメ肌にするとスピードが上がりました。フクロウの翼の先の羽根の縁には小さな針のような、のこぎりの歯状の羽毛があることで、(それが空気の流れに小さな渦を生じさせることで)羽音がしません。これを新幹線(のパンタグラフ)に応用し、騒音を抑えました。
医学では臓器を動かしているのは自律神経であると言います。では自律神経を動かすのは一体何でしょう?
自然界に、人知を超えた構造をもたらし、生命を育み動かす存在があるのです。この世界そのものであり、名も無き存在です。
その存在は、物理の法則を定義し執り行っています。時間というものを定義し、時間が流れているように執り行っているのです。
生き物は過去、現在、未来を感じさせられ、時間が流れているように実感させられているのです。有って当たり前のように感じていた『始まり』や『終わり』という概念も創造されたものなのです。
時間がなぜ過去から未来へ流れているのか述べました。その過程で、般若心経の説明が出来ています。

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1.前向き力とは

己こそ己の寄るべ 己を置きて誰に寄るべぞ よく整えし己こそ まこと得難き寄るべなり
自ら悪をなさば自ら穢れ 自ら悪をなさざれば自らが清し 清きも清からざるも自らのことなり 他のものによりて清むることを得ず

いくら念仏や題目を唱えようとも、自分自身が変わらなければ、その時だけ救われても後から後悔することになる。自分自身が良く変わる努力をし、良い人間になりたいと祈るなら、もう次元がすでに良い方向に変わっているのです。
信仰をして、これだけ神様、仏様に念仏をあげているという。しかしそれが徳を積んでいることになろうか。神棚や仏壇を離れて、すぐまた人の悪口を言っていないだろうか。
人を傷つけたり、人道に背くことは必ず罰を受ける。逆に世のため人の為と尽くす者には幸せが、福音が降り注ぐ。どちらが良いかは考えなくてもすぐわかる。
宗教にそれぞれ教えがあるが、良いことをしなさい、悪いことはするなとどこでも教えていないだろうか。それを念仏に没頭し、教えの方がおろそかになっていないだろうか。

大切なことは、愛と真心である。道徳・倫理に照らし合わせて善悪の判断をすることである。世界の平和のための念仏や祈りは必ず届き、不思議に自らも幸福への道へと導かれる。
「半ばは自分の幸せを、半ばは人の幸せを」という教えもある。人の幸せを願うのは半分でも良いのだ。家族の幸せを望むのは誰しもだろう。それで良い。

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2.禊ぎとは

禊ぎとは、身を削ぐ試練です。不幸があれば、禊ぎだと思いありがたく受ければ良い。
罪に対する罰だとしてありがたく受け入れれば良い。悪いことをしていなくとも、自分に悪い部分があることを自覚して、自分磨きに努力をすれば良い。
不幸が多い人は、その分後で幸福が訪れる。人は誰しも試練を受けるのです。

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3.般若心経・悟りとは

般若心経の主人公は観世音菩薩です。その観世音菩薩に悟りを開かせた名も無き存在は、この世の全てで、無限のとてつもない存在だと気づくでしょう。私は神様と言っていますが、実際には神様、仏様の向こう側の存在。全ての根源なのです。

私はお釈迦様の悟り、般若心経や、この世の始まりの真実を知ることが出来ました。
天地創造について、聖書は「はじめに言葉ありき」と書かれています。お釈迦様は般若心経の中で「この世は空である」とし、無であり、始まりも終わりもないと説きました。
この理論を確認するにあたりまず、時間がなぜ過去から未来へ向かって流れているのかという現象を考えてみましょう。

答えます。競泳の選手の水着を、サメ肌にするとスピードが上がりました。フクロウの翼の先の羽根の縁には小さな針のような、のこぎりの歯状の羽毛があることで、(それが空気の流れに小さな渦を生じさせることで)羽音がしません。これを新幹線(のパンタグラフ)に応用し、騒音を抑えました。
医学では臓器を動かしているのは自律神経であると言います。では自律神経を動かすのは一体何でしょう?
自然界に、人知を超えた構造をもたらし、生命を育み動かす存在があるのです。この世界そのものであり、名も無き存在です。
その存在は、物理の法則を定義し執り行っています。時間というものを定義し、時間が流れているように執り行っているのです。
生き物は過去、現在、未来を感じさせられ、時間が流れているように実感させられているのです。有って当たり前のように感じていた『始まり』や『終わり』という概念も創造されたものなのです。
時間がなぜ過去から未来へ流れているのか述べました。その過程で、般若心経の説明が出来ています。



Messageメッセージ

まとめると、この世の全てを定義し、動かしている存在があるということです。人知のはるか及ばない、天地創造というより、我々を含めた世界そのものが、名も無き深淵なる存在です。
しかし我々は自由が与えられています。自由に物事を考え、自由な行動が出来ます。

その存在は、根本にあるのは正義です。私たちは、自由でありながら、悪念を断ちて、道徳、倫理に照らし合わせ、善悪を判断しなければなりません。みんなが良い方向に行くように、全ての人が取り組まなければなりません。これを、「人道を尽くすを尊ぶ」というのです。

私が故郷の田舎に帰った時、山道を歩いていると、「よく来た、よく来た」と何か神様のような存在に祝福されたように感じました。山道を黒いアゲハ蝶が5分くらい私の進む道を案内するようにゆらゆらと飛んでいて不思議だなと思ったのを覚えています。のちに神様がそれを行っていたことを教えて下さいました。

私は神様のお導きで、悟りを開くことができました。この世の真実を知るに至りました。そして大切なことを教わりました。愛と真心から離れてはなりません。人間だから間違えることもあります。間違えたら直せば良いのです。

男性と女性の違いは大変興味深い。趣味嗜好が非常に異なる。それなのに惹かれ合う。陰陽説のように、全てが対になっているという概念も、名も無き存在により定義、創造されたものだ。物理の法則を定義しているから、車はタイヤの摩擦抵抗に従って前に進む。それは当然のことだが、そうなるように名も無き存在が執り行っているのである。それを守っているからそう見えるのであって、逆に言えば車が地面にめり込もうが宙に浮こうが名も無き存在からすれば自在なのである。

その物理の法則を超越したひとつの例として武道がある。合気と呼ばれるものは、力の強い者を非力な者が投げ飛げるということを可能にする。合気道の創始者、植芝先生が鉄砲の弾をよけることができる。名も無き存在が銃の弾丸を執り行っているのだから、弾丸の軌道もきまっている。今日の考えのように、気の起こりを感じ、狙ったところを外すというより、乱射されたものの軌道を全てかわすことができる。修練を積まないとできないように定義してある。定義してあるだけで素人がそれを行っても、名も無き存在の自在である。修練の及ばない私が常軌を逸したことが出来ても何ら不思議ではないのである。



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